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はい、コスプレです

 8年ほど前から常に何らかの言語にハマってきました。そしてその間ずっと悩まされてきたのが、「なぜその外国語を学ぶのか」という質問です。

 なぜこれが悩みかというと、なぜ学んでいるかなんて、自分にも分からないからです。ただ好きだから、面白いからというだけで、「じゃあどうして好きなのか」と突っ込まれると、もう何も答えられない。

 だからこの質問はすごく苦手なのですが、しょっちゅう人にきかれ、曖昧な答えではなかなか釈放してもらえない。苦労して学ぶからには、何か崇高な理想、或いは野心を秘めていると思われてるらしい。

 辟易して、いっそのこと「文化の架け橋になるため」とでも答えたろか、と思うのですが、そんなクサいセリフは死んでも言いたくない。



 ところが1年前、この悩みは一瞬にして解決しました。

 なぜかというと、もっと大きな十字架を背負い込んだからです。「着物を着る理由」という。

 「なぜ着物を着るのか」という一大命題を前に、「なぜ外国語を学ぶのか」なんて問いは、正直、どうでもよくなりました。「神のご意思に従っているまでです」とか答えて煙に巻きつつ、心の中で「好きだからだよ、悪いか」と一蹴して、ハイおしまい(笑)。



 ところが、人間というのは、・・・いや、わたしだけかもしれませんが・・・、応用力が不足しているのですね。

 「好きで着物を着て何が悪い?!」と啖呵を切れないところが悲しい。「いい年して、目立ちたいのかしら?」「新手のコスプレかしら?」という怪訝そうな視線に、この一年、いつもビクビクしていました。

 とはいうものの「文化の架け橋」と同じレベルで絶対言いたくないのが、「日本古来の伝統を守るため」という理由です。一体なに様だよ、って感じ。そんな大義名分、背負いたくない。「着物を着るのは、伝統を守るためですか、それとも何かのコスプレですか」と二者択一を迫られたら、迷うことなく「コスプレ」を選びます。

 まあ、わたしが着物を着る動機のひとつに「せっかく世間には中古の着物が溢れかえっていて、安く買えるのだから」という「もったいない精神」があるのは確かなので、広義ではこれも「伝統を守る云々」に入るのかもしれませんが、伝統がどうとか、和の心がどうとか、日本人だから・・・とか言われると、体中がかゆくなる。

 逆に「コスプレ」という言葉は妙にイメージが悪く、これはこれで居心地が悪かったのですが、最近次第に「コスプレ」というのもあながち間違いではない気がしてきました。

 「コスプレ = 漫画・アニメ・コンピューターゲームなどの登場人物の衣装・ヘアスタイルなどをそっくりそのまままねて変装・変身すること(※goo辞書より」と聞けば、着物とは全然関係ない気がしますが、根っこの部分で共通するものがあるからこそ、そう思われるのでは。



 以前「着物を着る理由」に、

1.着物を着ていると、いつもの風景が違って見えるから

2.着物を着ると、いつもとは違った出会いがあるから

という理由を挙げました。


 1の理由をもっと突き詰めると、結局わたしは、いつもとは違ったものを身にまとうことで、いつもの自分とは違ったモノになり、いつもとは違った世界に身を置きたいのだと思います。

 それはまさしく「コスプレ」の動機と同じもの。つまり「変身願望」です。「着物」というキーを使って、この世にいながらにして、別の世界に飛び込みたいんだと思う。

 わたしにはもともとそういう血が流れていて、大正後期か昭和初期に撮ったと見られる、祖父の女装や歌舞伎役者のモノマネ写真が、今でも残っています。

 わたしの祖父に限らず、もともと日本にはそういうルーツがあるのかも。桜や梅の枝を帯に描いて背中にしょってみたり。これって、西洋の感覚からすると、相当ヘンですよね。オマエは紅天女か、ってカンジ。でもそのヘンテコさを愛し、これを「日本の伝統」と人は呼ぶ(笑)。


 また2に関して言えば、わたしは外国人にウケたい。つまり「目立ちたい」んです。

 「日本に行ったら、ホントに着物の人がいたよ」って驚いてもらいたい。面白がってもらいたい。自分が外国で民族衣装の人を見かけると嬉しいから。そしてあわよくば、話しかけてもらいたい。

 相手が日本人でも同じです。街で着物を着ている人を見かけるとわたしは嬉しい^^。話しかけたいな、って思う。でも勇気が出なくていつも素通り。だから自分が着物を着て、誰かに話しかけてもらえたら、すごく嬉しい。



 ・・・あ! いま突然分かった。わたしが苦手な「お出かけですか?」という質問。あれって、着物の人に何か話しかけたい。でもなんて言って話しかけていいか分からないから、そういう質問になっちゃうんだ!!

 そうか、せっかく勇気を出して話しかけてきてくれた人に、わたし、今まで困惑した顔を見せてしまっていたかもしれない。話しかけられるのを心待ちにしているクセして、実際話しかけられると、何言われるかと身構えちゃってた。うわー、もったいないことしちゃった。申し訳なかったな。ごめんなさい
 


 これまでずっと、着物を着ていると、「目立ちたいの?」と思われるのが怖かった。「コスプレ」と言われるのがイヤだった。「目立ちたがり」と「コスプレ」、この二つが恐怖で、ビクビクしていました。

 でも今から思うと、全くの見当外れではなく、自分でも心のどこかでそんな気がするからこそ、よけいに怖かったのかも。

 「ええ、目立ちたいんです。コスプレなんです」と認めてしまえば、怖いものは何もない。「なぜ着物を着たいの? 目立ちたいの?」という問いに、「うん、そう。目立ちたいの」と、笑顔で答えられたらいいな^^。


 コスプレでも何でも、理由なんかどうでもいい。文化とか、伝統とか、そんな大げさな理由でなくていい。理由なんて、なくたって構わない。いちいち理由なんて考えてたら、なんにもできないよ。

 だからこの悩みは今年でおしまい。来年はもう、こんなことで悩みません。




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お直しおばさんの正体

 今日はアラビア語講座の最終日。なので着物で行こうと思っていました。友達にも事前に「着物で行くから」と宣言し、何日も前から着物で行く気満々でした。

 ところが朝から外は雨。それもけっこう降っている。

 少し待てば小降りになるかも、と思い、予定していた正絹のクリスマスコーデ・パート2を諦め、クリスマスコーデ・ポリバージョンに変更、小降りになるのを待ちました。

 出かける30分前になっても小降りにならないので、ついにポリも諦めて洋服に変更。新しい草履をドロ跳ね上げて汚すのが怖かったからです。古い草履は裏がゴムでないので滑りそうだし。


 ところが出かけた途端、雨は小降りに。くうう・・・、この程度の雨なら着物で来るんだった・・・。


 こういうときです。町で着物の人を見かけると、嬉しい気持ちになるより先に、羨ましい!!という気持ちが先に立つのは。・・・ああ、なんでわたしも着物を着てこなかったんだろう?ってますます後悔する。

 自分が着物を着ていないときに、着物を着ている人を見ると、いつも無性に羨ましくなって、なんだか妙に「わたしも着物を着る人なのよー」と主張したくなる。

 そしてそこで我に返るんです。「着物を着る人」って・・・。まるでずっと前から着物を着続けているベテランみたいに・・・(笑)。自分で自分のセリフに可笑しくなり、自分を笑い飛ばして終わります。今のところは。




 でも・・・。

 もし10年くらいして本当に「ずっと前から着物を着続けているベテラン」になったら、わたし、けっこうヤバいかもしれない。自分が着物を着ていないとき、着物を着ている人を見かけたら、羨ましさのあまり、「わたしも着物を着る人なのよー」とホントに主張してしまうかも

 「主張」といっても、いきなり公衆の面前で叫ぶんじゃ、ただのキチガイですから、何かもっともらしい理由にかこつけて主張するのでは?という気がしてならない。

 着物姿の人につつつ・・・と近づいて行って、話しかけちゃうとか? 「わたしも着物着るんです!」って?? それも相当アブナイ感じですね(笑)。

 親切めかして「あら、失礼、ちょっと帯が・・・」とか言って帯を直す、とか?


 ・・・って、それって、まんまお直しおばさんじゃない!!


 あー、やだやだ。どうか、こんなふうになりませんように・・・!!





 でもそういう自分を想像して分かった。お直しオバサンの正体が。

 つまり、お直しおばさんというのは、「自分は着物を着る人」だと思っていて、そう主張したいのでは、と。

 着物を着てさえいれば、何も言わずとも「着物を着る人」になれるんですが、着物を着ていないと、説得力ないじゃないですか。だから、何かアクションを起こさずにはいられない、もしくは人の着姿について何かコメントせずにはいられない。



 お直しおばさんの正体というのは実は、親切でもお節介でも悪意でもなくて、ただ単に主張したいだけなのでは。

   「わたしも着物を着る人なのよー!!

という。

 でも、そう主張したいならやっぱり、着物を着ないと。着物を着ずして、「着物を着る人」も何もないもんだ。たとえキャリアがどんなに長かろうと。




 もしも10年くらいして、着物なんて滅多に着なくなっていて、でも「自分は着物を着る人」という自意識だけ持ち続けていたとしたら・・・。それは、意識のほうが間違っていると思う。



 「着物を着る人」「着ない人」なんていうアイデンティティの違いはどこにもなく、あるのはただ、「いま着物を着ているか」どうかだけ。

 悔しかったら雨が降っても着物を着ろよ、と自分で思った雨の日でした。



 

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着物を着る理由

 着物を着るって、とてもハードルが高い。着付けは難しいし、帯は決まらないし、人からいろいろ言われるし。

 なのにどうして着物を着るのか。その理由も分からぬまま、今年の1月、着物を着始めたわけですが。



 最近、自分の中で、着物を着る理由が分かってきました。



 まず一つは、着物を着ていると、いつもの風景が違って見えるからです。

 着物を着ると、まず季節に敏感になる。いつもなら気付かないような気温の変化、季節の移ろいに気付く。見慣れた景色が、なんだか新鮮。

 だから、気分転換になります。そんなに遠くへ行かずとも、日帰り遠足で充分、旅行気分になれる。

 着物を着たときは、いつもの自分と少し違った感覚でモノを見ている気がする。実はこれは外国語も同じで、違った言語で考えると、同じモノでも少し違って見えます。だから外国語も着物もやめられない。




 また、着物を着ると、いつもとは違った出会いがあります。

 着物だと、見知らぬ人からよく話しかけられる。洋服なら生まれなかったはずの会話が生まれる。

 特に観光地では、外国人によく話しかけられます。外国語を喋るチャンスが向こうからやってくる。これは、外国語が好きなわたしにとって堪えられない醍醐味です。

 こういう出会いが期待できるから、着付けが上手く行かなかったり、帯結びが面倒だったり、失敗したり、イヤなことがあったりしても、また着物を着よう、と思うのです。



 しばらく着ていないと面倒くさくなって、何で着物なんて着てたんだろー?と分からなくなりますが、着て出かけるとやっぱり楽しくて、近いうちにまた着たい~!となります。




 ちなみに、着物を着る利点として、「着物を着ていくと、レストランなどで優遇される」などと本によく書かれていますが、わたしは残念ながら、これは未経験。特に優遇されたこと、ないなあ。


 でも、いつもの街が新鮮に見えたり、生まれるはずのない会話が生まれたり。それだけで、わたしにとっては充分です。


 



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50代の秘密の愉しみ

 11月ごろから、プロフィールのところに年齢を入れてあります。わたしもよその着物ブログを読むときに、書いている方の年齢が知りたいと思うからです。自分が知りたいことは、他の人も知りたいに違いない。だから書きました。


 なぜわたしがブロガーさんの年齢を知りたいかというと、自分と同世代かどうか、確認したいからです。同世代がどんなものをどう着ているのかが知りたい。

 でももともとわたしの世代で着物ブログを書いている人は他の年代に比べて少ない気がするし、そもそもその年代自体、推測の域を出ない。たいてい年齢はみなさんナイショ、お顔も隠していらっしゃるので。

 というわけで、確実に同世代と分かる着物ブログはほとんど見たことがなく、お気に入りは、アラフォーさんのブログばかり。いつもお若い方のブログばかり見て影響受けているから、わたし、ちょっと若作りかも? でもしょうがない。同世代のお手本、あんまりないんだもの。




 街中でも、同世代の着物姿は全く、といっていいほど見かけません。還暦を過ぎた年配のご婦人ならちょくちょくお見かけするのですが。若い方の着物姿もそこそこ見かける。とにかく一番見ないのが、わたしと同世代。まるでそこだけぽっかり穴が開いたみたいに、本当ーーーに皆無です。

 でもじゃあわたしの世代は着物に興味が薄いのかというと、そんなことはないようです。8月に行った日本和装のファッションショーでは、同世代と見られる方が大勢いらっしゃいました。近所のリサイクルショップが開催した着物フェアでも、お客さんのほとんどは推定年齢50代でした。

 つまりこの年代でも、着物に興味のある人は、たくさんいるんです。ただ着物で街を歩いたりしないだけで。おそらく着物で出かけるときは、ドア・ツー・ドア、車で移動するのでしょう。そうすれば着物を汚すこともなく、人目にもつかない。それがわたしの世代の着物の着方なんじゃないかと。

 現に友達は言っていました。わたしが着物を着始める前は、着物で気軽にその辺でランチなんて、考えもしなかった、って。どこか遠くへ行って着るならともかく、地元を着物でうろつくなんて、一人では、とてもじゃないけど無理だって。

 その気持ちはわたしも分かる。旅の恥はかき捨て、じゃないけど、知り合いが誰もいないようなところで着物を着るのはまだいい。でも地元で着物を着るのはすごく勇気が要る。こんなところを知り合いに見られたらどうしよう、といつもビクビクしています。

 つまりわたしの世代にとって、着物は「秘密の愉しみ」なのです。だーれにも知られたくない、嬉し恥ずかし密やかな趣味。

 上の世代はまだ着物を日常に着る習慣を残しているし、下の世代はファッションの一つとして着るけれど、わたしくらいの世代はもう、着物というものを自分の生活の中にどう位置づけていいのか分からず、にっちもさっちもいかない。だから「秘密の愉しみ」の域からはみ出さずに着るのだと思います。

 そういう人が多い中、着物で街をうろつき、あまつさえブログにまでアップするわたしはきっと、同世代の着物好きの目には、相当奇異に映っているに違いない。

 実際、人から言われたことあるもん。「よく自分の写真、ブログに載せられるね。勇気あるよね」って。それは決して褒め言葉ではない。わたしの世代の感覚では「勇気がある」という表現は「恥知らず」と同義語ですから。

 正直言って、誰の目が怖いって、同性の、同年代の、特に着物を着る人の目が一番厳しく、怖いです。仲間であるはずの人の目が一番怖い。

 ・・・と考えると、ブログに年齢を書くなんて、はっきりいって馬鹿ですね。年齢くらいぼかしておいたほうが、正体不明でまだしも突っ込みどころがない。年齢がはっきりと分からなければ、若作りというような批判ももたれにくいしね。

 なのにわざわざ年齢を書くなんて、つくづく馬鹿よねえ・・・。



 ・・・ウン、こう書いてみてはっきり分かった。馬鹿ですね。顔を出すのも年齢書くのも。秘密の愉しみにしておけばいいものを。





 でも、たまには馬鹿もいないと。

 だって馬鹿がいないと、馬鹿が増えないじゃない?

 世の中、お利口な人ばかりじゃつまらない。わたしとしては、馬鹿が増えて欲しい。だから率先して馬鹿をやります。




 

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浮気な真似っこ

 ゴミ捨てに行ったら、ゴミ置き場の前で6、7才の子どもたちが遊んでいました。

 「ヤダー! なんでマネすんのッ!

 一人の女の子が黄色い声を発したので思わず振り向くと、女の子が二人でピョコピョコ跳ねている。

 真似したほうの女の子が平然と言いました。

 「いいじゃん。人のいいとこは取って真似していいんだよ

 すると相手もそれっきり何も言わず、二人でしばらくピョコピョコ跳ねていました。



 なんだか思わず、ほんわかしちゃった。なるほどー、と思ったのです。そうよねえ、人のいいとこは取って真似していいのよね。なにか、ストンと落ちるべきところに落ちました。



 ・・・というのも、着物初心者のわたしが今やっていることは、ぜんぶ人真似だからです。

 そもそも着物を着始めたこと自体、着物ブログを見て、いいなと思ったから。

 本や動画のお手本を見ながら着付けや帯結びを練習し、帯と着物の色あわせも、本やブログを参考に。着物スポットも大抵よその着物ブログの受け売りで、みんながやっているから、自分撮りもやってみた。

 真似・真似・真似。真似尽くし。



 そうやって一年を過ごしてきて、まだまだ真似し足りないことばかりですが、最近、一番真似したいのは、スタイルの作り方なのだな、と気付きました。

 本でもブログでも、わたしが好きなのは、一人の人の着姿が繰り返しでてくるもの。いろんなモデルさんが出てくる雑誌や本も嫌いではありませんが、図書館で借りて一度パラパラページをめくれば満足してしまう。買って何度も見返すのは、一人のモデルさんが季節により、シチュエーションにより、様々な着物や帯をまとって何度も登場する本です。

 登場する方がどんな年齢であれ、また着物の趣味がわたしの目指すテイストと違ったとしても、そういう本やブログは必ず参考になる。

 なぜかというと、

1.その人ならではのスタイルがあることの素敵さを教えてくれるから

2.「わたしならどうするか」を自分に問うきっかけを与えてくれるから

3.どの程度バリエーションに幅を持たせ、どの程度定番を守るか、そのバランスを垣間見られるから

です。

 だから、同じ人の着姿をいくつも見比べて、どこがいつも変わらない定番で、季節やシチュエーションにより、どこにどの程度の変化をもたせているかをじっくり眺めるのが好きです。その方のこだわりの「肝」を探すのが楽しい。

 上から下までいつも同じ恰好じゃつまらないけれど、でもどこかにいつも同じポイントがあるのはカッコいい。たとえば、いつも日傘を持っているとか、いつも同じ作家のバッグを持っているとか。そういう、トレードマークになるようなこだわりって素敵♪

 もっと地味なこだわりでもいい。たとえば「半襟と足袋はいつも白と決めている」とか、逆に「絶対白足袋は履かないと決めている」とか。

 「何を着るか」のみならず「どう着るか」も、人それぞれ。衣紋の抜き加減、衿合わせの角度や、半襟を出す分量。毎日同じ角度で衿元が決まっている人、すごくカッコいい。自分の基本が決めてあるところがまずカッコいい。なおかつそれを正確に再現できるところがカッコいい。


 今着物を着る人はとても少ないから、着物を着ているというだけでアイデンティティにはなりますが、それだけじゃあつまらない。一口に着物といったってテイストは様々。「あ、着物姿」というだけでなく、一目見て「あ、あの人だ」とわかるような着こなしに憧れています。


 そういうマイ・スタイルの素敵さを教えてくれたのが、着物の本でありブログであり、一年間いろんな方のブログを拝見し、いろんな人を少しずつ真似し、いろんなスタイルを試してきたおかげで、わたしにも自分なりのルールや定番が少しできてきました。

 いろーんな、全く違ったテイストのブログを多数拝見したことで、「わたしだったら」と考えるきっかけを頂いた。

 誰か一人を徹底的にお手本にするほうが楽だったかもしれませんが、人はそれぞれに違うもの。他人をカンペキにコピーしても、それが自分のアイデンティティになるとは思えないし、ある日そのギャップに気付いて方向転換を余儀なくされることを思ったら、浮気性な真似っこで、細かい失敗を重ねつつ、自分のスタイルを探していけたのも、あながち悪くなかったかな、と思っています。





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プロフィール

うさぎ

Author:うさぎ
50歳にして着物を着始めた、最初の一年間の日記です。 

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