はじめての着付け

 たんすの中に、 着物はあるのに、長襦袢がない。
 もしくは、長襦袢がないのに、着物だけがある。


 一念発起して「着物を着よう!」と思い立った晩、わたしが直面したのは、そんな現実でした。

 浴衣じゃあるまいし、長襦袢なしに着物は着られない―――ということも知らず、着物だけ実家から持って来ちゃったらしい。いかにわたしが着物に対して無知だったかを端的に物語ってますね^^;。

 でもとにかくそのときは「今すぐ」着物が着てみたかったので、振袖用の長襦袢で代用し、とりあえず着ました。



 なかったのは長襦袢に限りませんでした。それまで全然着物に興味もなければ知識もない人が突然思い立ったものだから、まさに「あれもない、これもない」状態。

 しかもねえ、わたしって段取りが悪いの。料理するときもそう。初めて作る料理ですら、レシピをろくに読みもせず、いきなり作り始めてしまうものだから、途中で「あれがない、これがない」ってパニックする羽目になります。時には途中で「一晩置く」なんて記述に出くわし、憤慨することも。「なによ、これ! 今日食べられないじゃん!!」・・・って、自業自得なんですけどね(笑)。

 初めての着付けもそうでした。着物を着るぞ!と思い立った瞬間まず最初にわたしがしたことといえば、裸になることで(笑)、それからパソコンの画面見ては、タンスから似た形のものをひとつひとつ引っ張り出していったものだから、もう風邪ひきそう~! 下着姿のまま、「あれがない、これがない」とかやってたわけです^^;。



 もうストラテジーも何もない、行き当たりバッタリ。あるのは勢いだけ、みたいな(笑)。でもこういうの、今考えると悪くなかったかな?って思います。まあ、風邪をひくリスクを考えると、人にオススメはしませんけど^^;。


 まずひとつ、今あるものだけ使って「コストゼロ」で始められたのはよかったと思っています。お金をかけるときって、不退転の決意が必要じゃないですか。大枚はたいてしまったら、あとで気が変わって気軽に「やーめた」ってわけにもいかないから。

 でもそんな決意が必要だったとしたら、わたしみたいに軟弱なヤツは、今頃まだ着物を着る決心がつかずにグズグズしてたと思うんですよね。「とりあえず一度着てみよう」くらいの軽いノリだったから、始めることができた。

 そりゃあね、ないものがいろいろあって、それはそれはすごい状態でしたよ。着物は小紋なのに、長襦袢は振袖用だし、帯は浴衣用だし(笑)。肌襦袢も見当たらなかったから、ババシャツで代用^^;。

 それでもよくしたもので、こんな装備でも、「着物を身にまとう」くらいのことはできる。「着物が一人で着られた!」という達成感も充分でした。



 また、スタートラインが低かった分、その後の状況の改善や進歩がよく目に見えた、というのもあります。最初の状態があまりにすごすぎたから、初心者なりにも「なんかお手本と違うぞ」ってことに自分で気づけた。「なにかヘンだぞ」な部分については、徐々にいろいろ調べたり、コストのかからないこと・緊急度が高いことから順に揃えたりして、解決していきました。

 あ、ちなみに長襦袢については、後日実家のたんすから無事発掘され、事なきを得ました^^。

 あとは、たとえばタオルの補正。最初補正ナシで着たらなんとなく帯の収まりが悪く、ズルズル落ちてくる感じ。そこでネットの情報を参考にしながら、古い帯揚げに古タオルをくるんで縫いつけ、補正用の帯を作りました。

 それから「衣紋抜き」。そんなのがあるんですねえ。なんで衣紋が抜けないのかと悩んでいたところ、そんなものがあるってことをネットで知り、つけてみたら、少しマシになりました。

 肌襦袢は最初、なくても問題なく着られたので、見つけたあとも、いらないかな、と思ったのですが、胸の部分にもタオルで補正を入れはじめたら、これが落ちてくるんだわ。そこで肌襦袢で押さえたら、これがいい感じ。「あ、やっぱり道具って、それぞれ意味があるんだ」って思いました。

 そういう日々目に見える進歩があると、現時点の完成度がどうあれ、人間て、いい気分でいられる^^。少しずつ買い足し、少しずつ手間をかけ・・・。おっかなびっくり、ちょびっとずつ進めるうちに、決意のほうもゆっくり固まってきた感じです。



 「やる」か「やらない」か。そういう迷いを一瞬で断ち切るって、すごく大きな勇気が必要。勇気が出ないときには、迷ったままでいいから、今できることをとりあえずやってみる。そういうのもアリなんだなと思いました。




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クリスマスの魔法

 クリスマスに、下の娘がかんざしをくれました。最近ママは着物にハマっているから、って。なんでも、かんざし専門店で買ってくれたようです。

 その気持ちはとても嬉しかったけれど、実はちょっと戸惑いを感じました。だってかんざしなんて、きっとうまく挿せないもん。わたし、髪の毛いじるの、苦手。髪が少ないからか、張りのない猫っ毛だからか、理由は分からないけれど、いつもうまくまとまらないし、ピンなどもスルッとすぐ落ちてしまいます。だから箸みたいな棒一本のかんざしが留まるわけがない。

 なので言いました。「ソフト付きでお願い」って。つまり、自分じゃできないから、あなたやってね、っていう意味。

 そんなわけで、娘がかんざしについていた説明書を見ながら挿してくれたわけですが・・・。




 ・・・結果、留まらなかった;;



 「あー、やっぱダメかー・・・」

 落ち込むわたしに、娘が憤慨。「そうやってすぐ『ダメ』とか言わないっ!! やる前から『どうせダメだろう』とか思ってるから、ダメなんじゃん! 諦めないで練習するのッ! そのうち絶対できるって信じてやるの!!」

 ・・・はい、そうですか。どうせやったってダメなもんはダメなんだろうけどね・・・。

 実際、なんどか挑戦してくれましたが、すぐにゆるんで落ちてきてしまいました。




 あーもー、無理よ、無理。このかんざしはなんか別のことにでも使おう(別のことって一体何?)。


 そう思いつつ、髪から落ちてきたかんざしを手でもてあそび、ふと説明書を見ながら自分で髪に挿してみました。





 そしたら!! なんと!!

 なにかビシッとした手ごたえ!!

 髪に手をやると、見事、留まってる~~~~~!!




 「留まった! 留まった!」と大騒ぎすると、娘が一言。「ほらね、だから言ったじゃん。信じるものは救われるんだよ」


 「・・・いや、全然信じてなかったですけど。ただダメ元でやったら、できたのよ。たまたま。わたしには、信じるより、ダメ元精神のほうが合ってるのかも」

 「んー、まあそうかもね。ま、それでできるんなら、それもアリなんじゃない?」




 もう一度はずしてまた挿すと、こんどはすぐに落ちてきてしまいました。でも一度成功しているので、諦めず、何度かやっているうちに、またできました。

 どうやらコツがあるみたい。

 留める髪を頭と直角になるようにしてからねじり、そのままの角度でかんざしを挿すといいみたいです。


 まだ失敗も多いけれど、2回に一度はビシッと留まるようになってきました。着物着たとき、髪はどうしよう?というのが懸案でしたが、これで一気に解決^^。




 かんざしなんて、粋ですよね。棒一本で髪をビシッと留めてるだなんて、なんだか人生が一気に格上げされた気分^^。

 こんど着物を着ておでかけするときは、短い首を精一杯伸ばし、なかなか抜けない衣文をがんばって抜き、かんざし挿して、姿勢良く歩こうと思います。



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灯台下暗し

3ヶ月くらい前から、毎日スペイン語のオンラインレッスンを受けています。先生方は全員、グアテマラ人です。スペイン語と着物。一見何の関係もありませんが、わたしが着物を着始めた遠因に、このスペイン語のレッスンがあります。



 グアテマラという国は、昔マヤ文明が栄えたところにあります。住民の大半がマヤ系の血を引いている国です。わたしはスカイプレッスンをはじめてからというもの、グアテマラという国にものすごーく興味がわいて、最初の頃グアテマラやマヤ文明に関する本ばかり読んでいました。

 でもご当地で暮らす先生方は意外とマヤ文明について知らず、「君のほうが詳しいかも」なんて言われたこともありました。

 また、小さな村々ではまだマヤ系の言葉が話されているにもかかわらず、町で近代的な生活を営む先生方は誰ひとりとして、マヤ系の言葉を喋れません。「おじいちゃんなら喋れるんだけど」「お父さんなら喋れるけど」という先生はいますが、「自分が喋れる」先生はわたしが尋ねた限り、一人もいない。「語学が趣味」という先生ですら、マヤの言葉に関しては門外漢のようで、「どうして喋れないの?」と聞くと、「さあー?」と苦笑い。


 でも、先生方は案外、日本については詳しいのです。たくさんの日本人生徒と接しているからだと思いますが、日本に興味があり、積極的に本を読んでいる先生もいます。場合によっては生粋日本人のわたしより詳しく、こっちがあんまり無知だと、「ポルファボ~ル!(おいおい、大丈夫?^^;)」といわれてしまう。日本に関しては、「もしかして、先生のほうが詳しいかも」とこっちが言うハメになります。

 着物に関してもそう。わたしが着物が着られないと知ると、「日本人なのに、どうして着物が着られないの?」攻撃。そのたびに「さあー?」と苦笑い^^;。



 つまり、どっちも灯台下暗しなんです。日本人のわたしは日本について案外無知で、グアテマラ人の先生方は、グアテマラについて案外無知。日本人はよく「日本人は日本のことを知らなすぎる」と反省するけれど、それって日本人だけでなく、案外どこの国の人も、そんなものなのかも?

 また、体験的に知っていることと、知識としてまとまっていることとは違いますしね。日常的に行動していることでも、いざ言葉にするとなると、アレ、どうだっけ?と思ったり。地域差や個人差もあるので、自分の行動をもって「日本ではこう」と断じることもできないし。なまじよく知っているからこそ、説明しにくい、ってところもあります。



 でもそうはいうものの、今回着物を着ようと思いたった根底に、先生方との会話があることは確かです。そして、その着物気分がどんどん盛り上がっていったのも、先生方とちょくちょく着物について話す機会があったからです。

 グアテマラでは今年初めて、学校に対し、マヤ系言語の教育を義務付ける法律ができたそうです。これまで学校教育から排除されてきた地域の言語が、今後は、小学校から大学まですべての過程で教えられることになるのですと。

 「まあ、それは良かったわね! おめでとう!」心からそう言いましたが、同時に焦りも感じました。だって、先生方がこの先マヤ語を喋れるようになって、なのにわたしは着物を着られないままだったら、灯台下暗しが「おあいこ」ではなくなってしまうではないですか!

 そこでますます「早急になんとかせねば!」という気持ちに拍車がかかりましたとさ。おしまい。





 ※ そういえば、日本の学校で着付けって、やらないですよね。やればいいのに。



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着物の賞味期限

娘の成人式についてあれこれ調べ物をしていたとき、ヤフーの知恵袋がよくひっかかってきました。

知りたいけど分からないことって、あんがい共通しているのですね。わたしが知りたいようなことはすべて、すでに誰かが質問していて、それに対する明確な答えも得られ、とても助かりました。




けれど、調べる過程ではいつも、知るつもりのなかった情報まで知ることになりました。だいたい、一つのことを調べると、9のオマケがついてくる。その中には、いずれは知りたくなるであろう有益な情報もあれば、知らないほうが幸せだったかも、と思えるようなこともありました。

知らないほうが幸せだったかも、と思えることとは、「世間の目」です。

たとえば。

振袖は未婚の女性が着るものだということになってはいますが、晩婚化が進んだ今、未婚だったとして、じゃあ何歳くらいまでなら振袖が着られるのかという議論に何度か出くわしました。

私自身は、そういうことについて今まで考えたこともありませんでしたが、しいて言えば、着る本人が着たいと思えばいつまででもいいと思う。知り合いの顔を思い浮かべてみても、30半ばくらいで、でもとてもその年齢には見えない、華やかで可愛らしいお嬢さんを何人も知っているし、そういう人たちに友達の結婚式に着ていく着物について相談されたら、わたしなら振袖を勧めるかな、と思う。

でも、知恵袋を読むと、中には25才でもう振袖はおかしいと思う人もいるのですね。そういう意見を読むと、なんだかとても息苦しくて、知らなければ良かった、と思いました。高価な振袖の賞味期限がたった5年というのも辛い話ですが、それ以上に、若さの賞味期限をつきつけられている気がしました。若さは年齢によってそんなにも厳密に輪切りにされなくてはならないものなのか、と。

振袖が着られる年齢なんて、中年で既婚のわたしには関係がないといえばないですが。でも、「○○才の振袖姿がおかしい」と思う人がいるということは、常に人の年齢を監視し、衣服との整合性をつぶさにチェックしている人がいる、ということ。そう考えると、わたしにだって大いに関係するわけです。ちょっと派手だったりすると、もう「あの人は・・・」と後ろ指を差されてしまうのかな、と。


たんすの中には、結婚前に親に作ってもらった着物があります。中にはまだ一度も袖を通していないものも。そういう着物はもう賞味期限切れなのかな、と思ったら、切なくなりました。

それは、娘たちのお気に召しそうにない個性的な柄の小紋で、まだしつけがついたまま。しかもよくよく見ると細かいシミが出ていて、自分で着る分には気にならない程度なものの、人さまにはお譲りできない。

もしこれがわたしには派手すぎるとなれば、もう着る人はいないわけです。そう思ったら切なくなりました。どうして今まで、まだ着られるうちに着なかったのだろう、と後悔しました。


でも、今回娘の成人式の着付けでお世話になる方が、打ち合わせにお邪魔した際、こんなことを言われました。

「着物って、洋服の地味派手とは違った感覚があってね。色柄が派手なら若い人向きかって、そんなこともないし、若い頃に似合った色柄は、年をとっても似合うから不思議なのよね」と。

それで思い切って、家にあった小紋を二枚ほど持っていき、見ていただきました。「これ、まだわたしに着られますか」って。

すると、「ええ、どちらも充分着られますよ」。

個性的な柄の黒っぽい小紋はともかく、白地に金糸の地模様の入った優しい花の飛び柄のほうは、さすがにもうわたしには可愛らしすぎるかな、と思っていたので、この言葉は意外でした。



そして、ご自身が着物道楽のその方は、こう続けられたのです。

「でもね、着物を着ようと思うなら、『今』しかないわよ。地味とか派手とかいう話じゃなく、たぶんあと10年したら、面倒くさくて、着物を着ようなんて思わなくなるから」



たぶん、その言葉が、今回の出発点だったと思います。

「着るなら今」。そう思ってこの3週間、毎日着付けの練習に励んできました。自分にしか着られない、手持ちの黒い小紋を着るために。

わたしにとって着たい「着物」とは、この小紋のことなのです。わたし用に仕立てられた、わたし以外に着てのいない、この着物が着たい。

もしかしたらここが出発点となって、将来、着物全般にハマることもあるかもしれませんが、とりあえず今は、この着物をなるべく何度も着ることが目標です。

道行コートも帯もその他の小物も、持っていないものはすべて、この着物にサイズや色やテイストを合わせて買いました。



そしてまずはお正月、この着物を着て出かけます。




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着物元年

忙しい年末のある日、突然「着物を着よう!」と思い立ちました。
二十歳の娘が成人式に振袖を着ることになったのがそもそものきっかけです。
振袖自体は手持ちのものを利用することになったものの、いまどき風の小物集めに呉服屋をハシゴし、自然と人との会話も着物の話題に。自分の中で「着物」というキーワードがどんどん膨らみ、気づいたときには、まるで波が押し寄せるかのように、「着物を着たい!!」という気持ちでいっぱいになっていました。

でも・・・。
半世紀近い人生の中で、着物経験はごくわずか。
それでもまだ若い頃は成人式の振袖や卒業式の袴、結婚式の打ち掛けなど着るチャンスがありましたが、結婚してからの四半世紀は全く着物とは無縁でしたので、着方が分からない。

それどころか、着物を着るのに何が必要なのかすら、分からない。
着物用語も分からない。伊達締めと帯締めの区別もつかない。
ネットで必要なものを調べ、たんすの引き出しをかき回してみると、着物は何枚もあるのに合わせる帯がない。小物もあったりなかったり。

それでも着たくて着たくてたまらない。それも「いつか」じゃなくて「今すぐ」。
なのでありあわせの着物や帯で、You Tubeの動画を見ながら、12月のある晩、四苦八苦。とりあえず着てみました。
振袖用長襦袢の長い袂を小紋の袖に無理やり詰め込み、振袖用の太い豪華な帯締めを浴衣用のペラペラな半幅帯に締めました。

調べモノに要した時間、探し物に要した時間を含めると、なんと約7時間!
襟や帯が難しくて、うまくいかなくて、何度もめげそうになりながら、それでも朝の4時までかかって最後まで着ました。

すんごいヘンテコ。すんごいヘタクソ。
でも嬉しかったです。本当に嬉しかった。
もう嬉しくて嬉しくて、口元がゆるみっぱなし。寝不足でフラフラになりながらも一人でニタニタしてました。


その翌日も、そのまた翌日も、毎日着ました。
毎日毎日着ると、毎日毎日、少しずつ上達する。
でも、毎日毎日新たな問題点が次から次へと見えてくる。
そのたびにめげそうになり、実際ちょっと泣いてから、気を取り直してネットで対策を調べました。

足りないものは実家に帰って調達。
それでも足りないものは少しずつ買い足しました。
長襦袢に衣文抜きを縫いつけ、半襟をつけ、タオルで補正を作ったり。
2、3週間かけて今やっと、なんとか一通り揃ったところです。


そうしてなんとか着られるようになると、次は着物で出かけたくなる。
でも羽織りモノを持っていないので冬は無理かな、と諦めていたところ、リサイクルショップで腕の長いわたしにピッタリな道行コートを発見。それからというもの、どうしても正月に着て行きたい!という思いがとめられなくなりました。




でも、その思い切りは、着付け以上に困難でした。

いい年をして、こんなヘタクソな着付けで人前に出て、人から笑われないだろうか。
いい年をして、TPOも良くわからない。誰かに叱られたり誹られたりしないだろうか。
若いお嬢さんならまだしも、中年になって着物デビューなんて、一体何の真似?

そう思われるのが、怖かった。ものすごーく怖かった。
着物なんて余計なものに手を出さなければ、安全地帯にいられるのに。
洋服を着ていれば、誰にも何にも文句を言われずに済むのに、なぜわざわざリスクをおかす必要があるの?


実際「正月に着て行く」と言うと、実家の母は明らかに迷惑顔。
無理もない。TPOも分からず、着付けもままならないいい年した娘を親戚の前にさらして恥をかくのは本人以上に、母ですから。
「何を好き好んで、いまさらわざわざ着物なんか」という思いが言葉の端々から伝わってくる。
「そのうち着付けもTPOもカンペキにしてから、それから外に出るんじゃダメなの?」と言いたげ。


でも、それじゃダメなんです。
「そのうち」じゃダメ。「今」やらないと。
カンペキなんて待っていられない。

というか。
カンペキな着付け、カンペキなTPOなんて、永遠に来ない。
だからダメでもヘタでも恥さらしでも、まず外に出なくちゃ。
そう直感したんです。



だって英語だってそうでしょ?
「カンペキな英語が喋れるようになってから、喋りたい」なんて思ってたら、その日は永遠に来ない。
ダメでもヘタでも恥さらしでも、まずは喋ってみることが大事。


言葉に詰まって冷や汗かいて、恥かいて。
時には上手く言えて小躍りしたり。
そういう気持ちの浮き沈みを経験してこそ、もっと喋れるようになりたい、って思える。


なるべくたくさん発表の場、経験の場を設けることが大事。
英語や着付けに限らず、お稽古事はすべてそうなんじゃないのかな。
だから踊りでも歌でも、発表会をやるんじゃないのかな。
意欲を殺さず、また飛躍のきっかけを作るために。



幸運なことに、正月を待たずして、先日突然、「プチ発表の場」が訪れました。
母がたまたま用事で近くまで来たのです。
「じゃあ今から着物を着て会いに行く」と言ったら、少々迷惑がられましたけど。
でも諦めかけたところ「ママ、こんなチャンスを逃してどうするの?!」と娘に励まされ、急いで着て行きました。

案の定「ずいぶんとすごい着つけ」と母の目には映ったようであちこち直されましたが。でもいい勉強になりました。

そして、それ以外にも、その日に学んだことは多かった。
足袋が右足だけ小さすぎること、袖の下の腕が意外に寒いこと、歩き方を練習したほうがいいこと・・・。
全部、外に出てみなければ分からなかったことです。



そして、分かった。
新しいことを始めるって、こういうことなんだな、と。
恐れ、不安、ためらい、羞恥心・・・。
そういうのを全部乗り越えて、やっと始められるんだ、と。


何かを始めるときって、すごいエネルギーが必要。
ためらいや不安を乗り越えるための。

そして、最初の「プチ発表会」を経験した今、わたしは「始める」ことに成功したのです。






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プロフィール

うさぎ

Author:うさぎ
50歳にして着物を着始めた、最初の一年間の日記です。 

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