いろんな「普通」

 先日、地元のお祭りで気付いたことがあります。

 それは、いろんな「普通」があるんだな、ということです。



 お祭りはすごい混雑で、満員電車並みの混みよう。その多くは小中学生の女の子で、ほとんどが浴衣を着ていました。

 大半の子が着崩れていました。裾は開き、おはしょりはグチャグチャ、衿はヨレヨレ、作り帯はつぶれてペッチャンコ。一目瞭然な着崩れようでした。

 たぶん、着物好きなお母さんがそういう娘の恰好を見たら、青くなるでしょう。きっとわたしも。

 でも他方では、それが普通、それが標準。みんなそんなもんだから、何の問題もない。みんな自分の恰好を気にすることもなく、気楽な表情でカキ氷を食べてました。



 浴衣の色柄は、全体的に西洋風。形もドレス型だったり、おはしょりの代わりにペプラムがついていたり。兵児帯の素材もレースやオーガンジー。程度の差はあれ、全体的に和洋折衷傾向でした。

 きっと「近頃の俗悪な浴衣は・・・!!」と嘆く大人もいることでしょう。確かに、オーセンティックな浴衣を見慣れた目には、少々奇異に映ります。

 でも子どもたちは、そんな大人の意見など、歯牙にもかけないに違いない。だって彼らにすれば、今こういうのが流行りで、これが「普通」なんですから。




 要は、彼女たちには彼女たちなりの「普通」があって、それは大人の考える「普通」とは違っている、ってことです。

 オーセンティックな紺地の浴衣をスキッと着こなすのが、大人の考える普通の浴衣姿。

 でも子どもたちからすれば、和洋折衷浴衣を、洋服同様の気楽さで着るほうが、普通なわけです。



 大人は、着物について何も知らない子どもより自分のほうが正しいと思うかもしれない。特に着物通は。

 でも実際はどっちが正しいわけでもなく、フィフティ・フィフティなわけです。それどころか、数から言ったら、圧倒的にメジャーなのは一般の子どものほうで、着物通の大人なんてのは、ごく一部のマイノリティにすぎない。

 だって先日はたった数時間で、大量の子どもの浴衣姿を見ましたもの。そしてたぶんその数は、この半年に見た全ての着物姿を合わせたより多かった。だから数から言えば、どっちかって、お子ちゃまたちの浴衣姿のほうが「普通の着物姿」なわけです。少なくともわたしの住む界隈では。




 それに気付いたら、夢から醒めた気分になりました。この半年間、自分は何を見てきたのかと。

 着るからには「センス良く着なくちゃ」「きれいに着なくちゃ」と思い、結局「着ない」という選択肢を選んでしまいそうな自分は一体なんだったのか。

 子どもたちは、派手派手浴衣ドレスを、着崩れをものともせず、あっけらかんと、楽しそうに着てるじゃないか。




 「でもあなたは大人でしょ。分別のない子どもとは違う」なんていうお説教はご勘弁を。

 別に、子どものほうが正しいって言ってるんじゃないんです。

 子どもを真似ようというのでもない。




 ただ気付いたんです。

 世界によって違った「普通」がある、ってことに。


 これまでの半年、わたしは「普通の着物姿」を目指してきた。

 自分の考える「普通」は、広く、この日本における「普通」だと思い込んで。


 でも実際は、それは、ごくごく狭い、限られた世界における「普通」だった。

 いつの間にかわたしは、偏った世界、たった一つの「普通」しか見えなくなっていたんですねえ。





Img_074758.jpg
お祭りで食べた苺カキ氷の容器を再利用~。
名づけて「ブルーベリーかき氷」(笑)。




関連記事
スポンサーサイト

テーマ : きもの キモノ 着物
ジャンル : 趣味・実用

プロフィール

うさぎ

Author:うさぎ
50歳にして着物を着始めた、最初の一年間の日記です。 

最新記事

カテゴリ

月別アーカイブ