スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

わざわざ

 先の日曜日、演劇を見に、着物で出かけようと予定していましたが、雨で急遽、洋服に変更しました。

 なぜ雨だと着物で行かないのか。

 その理由を自分の中で突き詰めてみたら、それは「雨で着物をダメにしたくないから」というより、「雨の日にまでわざわざ着物を着ていると、人に思われたくないから」だと気付きました。

 晴れの日でさえ、「わざわざ着物を着ている」と思われるのに、雨の日にまで着ていたら、「何頑張ってるの?」と思われかねない。それが怖かったのです。





 わたしはいまだに携帯電話を持っていません。そう言うと、人は驚き、「なぜ持っていないの?」と尋ねます。

 「必要ないから」とわたしは答えます。事実、わたしは家にいることが多いので、携帯を持つ必要をあまり感じないのです。

 でもそう答えても、みんな信じていないようです。その程度の理由で携帯を持たない人がいるとは、到底信じられない様子。

 「不便なのに、なぜわざわざ携帯を持たない暮らしを貫くの?」と重ねて尋ねられます。

 でもわたしにしてみれば、「月々お金を支払ってまで、なぜわざわざ必要のない携帯を持たねばならないのか」、そっちのほうが不思議。月々の支払いが発生する以上、わたしにとって、携帯電話というのは「わざわざ」持つものであって、持たないほうが自然なのです。

 そりゃ月に1度や二度、携帯があったら便利だろうな、と思うことはあります。でもその程度の頻度の不便さに、毎月お金を支払う気にはなれないし、第一、契約が面倒。

 携帯を持つには、出費がかかり、契約もしなくちゃならない。それでもみんなが、「携帯を持つ」ことではなく「携帯を持たない」ことを「わざわざ」と表現し、違和感を持つのは、日本の大半の人が携帯を持っているからに他ならない。「多数派と違ったことをするからには、何か強い主義主張があるに違いない」と思うのでしょう。実際、「どうして携帯を持たないことに、そこまで固執するの?」といわれたことがあります。

 でも別に固執しているわけじゃない。ただ必要ないし、面倒だし、お金もかかるから、持たないできちゃっただけなんです。だから今後必要が発生すれば、持つかもしれない。

 けれど、わたしがそう言っても、分かってくれる人のほうが少数で、わたしは「携帯を持たない主義」だと思われているようです。


 着物に関してもそう。ほとんどの人が着物を着ている世の中ならば、着物を着るのがどんなに面倒くさかろうとナンだろうと、「なぜわざわざ着物を着るの?」とは誰も尋ねないでしょう。おそらく戦前は、洋服のほうが「わざわざ」着るものだった。

 でも大多数の人が洋服を着ている今、着物は「わざわざ着る」もので、「多数派と違うものを着るからには、何か強い主義主張があるに違いない」と勝手に想像されてしまう。



 多数派と違うことをする、それだけで人は、不自然だと思い、よほど差し迫った理由なり、主張なりが隠されているに違いないと勘ぐるのです。

 つまりそれだけ、多数派と違うことは決してやらないと決めている人が多いということでしょう。多数派の枠からはみ出ることを、みな恐れている。そして、自分が出られないその枠を飛び越える人を心のどこかで嫌う。

 「わざわざ」という言葉の裏には、「不自然」という非難が込められている。「みんながやっていることを、なぜあなたはやらないのだ」、「みんながやらないようなことを、なぜあなたはやるのだ」、という非難が「わざわざ」という言葉には含まれているのです。

 たとえそれが衣類や携帯電話のように、個人的で、第三者にはなんら影響のないことだったとしても、「不自然」というだけで、この国では罪になる。




 晴れの日ですら、「わざわざ」感のある着物。それが雨の日だったら、その「わざわざ」感はいや増すに違いない。そう思ったら腰が引けて、日曜日、着物を着るのを断念しました。

 でも街に出たら、踊りの会でもあるのか、着物姿の人がいつも以上にたくさんいて、わたしも着物を着てくればよかった、と後悔しました。



 ・・・といいつつ、今週末、また雨が降ったら。きっと着物は着ないんだろうな・・・。

 家でなら、毎日着ている着物。でも人前で着物を着ることのハードルは、まだまだ高いです。






関連記事
スポンサーサイト

テーマ : きもの キモノ 着物
ジャンル : 趣味・実用

プロフィール

うさぎ

Author:うさぎ
50歳にして着物を着始めた、最初の一年間の日記です。 

最新記事

カテゴリ

月別アーカイブ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。