お直しおばさんの正体

 今日はアラビア語講座の最終日。なので着物で行こうと思っていました。友達にも事前に「着物で行くから」と宣言し、何日も前から着物で行く気満々でした。

 ところが朝から外は雨。それもけっこう降っている。

 少し待てば小降りになるかも、と思い、予定していた正絹のクリスマスコーデ・パート2を諦め、クリスマスコーデ・ポリバージョンに変更、小降りになるのを待ちました。

 出かける30分前になっても小降りにならないので、ついにポリも諦めて洋服に変更。新しい草履をドロ跳ね上げて汚すのが怖かったからです。古い草履は裏がゴムでないので滑りそうだし。


 ところが出かけた途端、雨は小降りに。くうう・・・、この程度の雨なら着物で来るんだった・・・。


 こういうときです。町で着物の人を見かけると、嬉しい気持ちになるより先に、羨ましい!!という気持ちが先に立つのは。・・・ああ、なんでわたしも着物を着てこなかったんだろう?ってますます後悔する。

 自分が着物を着ていないときに、着物を着ている人を見ると、いつも無性に羨ましくなって、なんだか妙に「わたしも着物を着る人なのよー」と主張したくなる。

 そしてそこで我に返るんです。「着物を着る人」って・・・。まるでずっと前から着物を着続けているベテランみたいに・・・(笑)。自分で自分のセリフに可笑しくなり、自分を笑い飛ばして終わります。今のところは。




 でも・・・。

 もし10年くらいして本当に「ずっと前から着物を着続けているベテラン」になったら、わたし、けっこうヤバいかもしれない。自分が着物を着ていないとき、着物を着ている人を見かけたら、羨ましさのあまり、「わたしも着物を着る人なのよー」とホントに主張してしまうかも

 「主張」といっても、いきなり公衆の面前で叫ぶんじゃ、ただのキチガイですから、何かもっともらしい理由にかこつけて主張するのでは?という気がしてならない。

 着物姿の人につつつ・・・と近づいて行って、話しかけちゃうとか? 「わたしも着物着るんです!」って?? それも相当アブナイ感じですね(笑)。

 親切めかして「あら、失礼、ちょっと帯が・・・」とか言って帯を直す、とか?


 ・・・って、それって、まんまお直しおばさんじゃない!!


 あー、やだやだ。どうか、こんなふうになりませんように・・・!!





 でもそういう自分を想像して分かった。お直しオバサンの正体が。

 つまり、お直しおばさんというのは、「自分は着物を着る人」だと思っていて、そう主張したいのでは、と。

 着物を着てさえいれば、何も言わずとも「着物を着る人」になれるんですが、着物を着ていないと、説得力ないじゃないですか。だから、何かアクションを起こさずにはいられない、もしくは人の着姿について何かコメントせずにはいられない。



 お直しおばさんの正体というのは実は、親切でもお節介でも悪意でもなくて、ただ単に主張したいだけなのでは。

   「わたしも着物を着る人なのよー!!

という。

 でも、そう主張したいならやっぱり、着物を着ないと。着物を着ずして、「着物を着る人」も何もないもんだ。たとえキャリアがどんなに長かろうと。




 もしも10年くらいして、着物なんて滅多に着なくなっていて、でも「自分は着物を着る人」という自意識だけ持ち続けていたとしたら・・・。それは、意識のほうが間違っていると思う。



 「着物を着る人」「着ない人」なんていうアイデンティティの違いはどこにもなく、あるのはただ、「いま着物を着ているか」どうかだけ。

 悔しかったら雨が降っても着物を着ろよ、と自分で思った雨の日でした。



 
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Author:うさぎ
50歳にして着物を着始めた、最初の一年間の日記です。 

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