祖母の写真

 先週末は伯父の葬儀でした。土曜日がお通夜、日曜日が告別式と初七日。

 二日とも洋装で行きました。きものの喪服って持っていないので。「きもので行きたい」とも思わなかったな。家で毎日きものを着ているせいか、最近きものに対して飢餓感を感じないのです。



 会場の控え室には伯父の生前のスナップ写真がたくさん飾られていて、アルバムも用意されていました。

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 この写真は、伯父がまだ赤ちゃんだった時のもの。みたところ、生後半年くらい?? 伯父は昭和5年生まれですから、この写真も昭和5~6年頃のものでしょう。

 隣に座っているのは、わたしの祖母です。おそらく20代前半の。

 すでに20年ほど前に他界していますが、わたしは子供の頃、祖母と一緒に住んでいました。でもこの写真を見たのは初めてかも。ずっと伯父の元にあったのでしょう。

 きものは黒留袖、髪は島田ですね。祖母は、姑に言われて、結婚したての頃はいつも髪を島田に結っていたそうです。姑にしてみれば、きっと美人な嫁が自慢だったのでしょう、「いつも身ぎれいにしていなさい」が口癖。でも髪を結うと普通の枕では寝られないので辛かったそうです。

 髪型からして、きっと当時は服も、毎日きものだったのでしょうね。今から80~90年くらい前のことです。

 わたしが子供の頃、つまり40年くらい前にはすでに、普段の祖母は洋装でした。きものを着るのは、外出するときだけ。もんぺ姿が奨励された戦時中を経て、祖母にとっても戦後は「きもの=お出かけ着」の位置づけだったのだと思います。

 とはいえ、デパートへ行くときは着物でしたね。特に三越に行くときは、洋服を見に行くんでも、必ずきもの(笑)。わたしもちょっといいワンピースを着て、よく祖母にくっついて行ったものです。当時、新宿三越の階段の壁にはアンモナイトの化石が埋まっていて、「アンモナイトがあるから、三越は他のデパートより偉いんだ」と子供心に思っていました(笑)。

 わたしが子供の頃、祖母はすでに70代でしたから、祖母のきものといえば、地味なものばかりでしたが、若かりしころは、祖母も華やかな色柄の銘仙を着ていたのでしょうか。戦争中に空襲で焼けたか、食べ物と交換したかで、当時のきものは一枚も残っていませんが。

 子供の頃、母や祖母から聞く話は空襲、戦後の食料難など、ほとんどが辛い話でした。でも時折、戦前の楽しい話を聞くこともありました。村で一番最初にガス灯を導入した新し物好きな曽祖父の話、歌舞伎役者の真似事が好きで、ビリヤードや射撃が得意だった洒落者の祖父の話、ダンスホールで祖父は、自分は他の女性とも踊るクセに、決して祖母を他の男性とは躍らせなかったそうです。

 アンティークショップや本などで、華やかなりし大正時代を彷彿とさせる銘仙を見るにつけ、もっと祖母に戦前の話をきいておけばよかったなあ、と思います。



 ・・・あれあれ? 伯父の葬式だったのに、祖母の話ばかり。おじさん、ごめんなさい。





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Author:うさぎ
50歳にして着物を着始めた、最初の一年間の日記です。 

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