「きもの」 幸田文

きもの (新潮文庫)
きもの (新潮文庫)
幸田 文 (1996/11/29)


 この本に出会えたことだけでも、きものにハマってよかった、そう思える本でした。
 
 この本の題名の「きもの」とは、いわゆる「着物」に限らず、洋装も含めた「着るもの」の意味だと思います。でもきっと、きものにハマらなかったら、この本に出合うことはなかった。



 主人公のるつ子は、衣類の着心地にこだわる子です。気に入らない着心地のものを着せられると、肌に出来物ができ、かんしゃくを起こし、袖を破り捨て、挙句の果てには熱まで出します。

 冒頭の描写を読んだとき、これはわたしだ、と思いました。わたしも子どもの頃、衣類の不愉快さを散々、経験してきたからです。肌着の縁に化繊のレースがついていると、縁の形にぐるりと沿って肌が赤く腫れる。ウールが肌に触れると、チクチクとむずがゆくて、気が狂いそう。

 ただ主人公と違っていたのは、わたしは熱までは出さなかったことです。袖も破かなかったし、かんしゃくも起こさなかった。それゆえ母や祖母には、いかに辛いかを理解してもらえず、「気のせい」という言葉でかたずけられてしまった。今でも子どもの頃を思うと、肌を刺すウールのチクチクとした感触と、タートルネックの息苦しさがよみがえります。

 るつ子の場合は、母はともかく、祖母というよき理解者がいて、その羨ましさに、まず惹きつけられました。わたしもせめて、かんしゃくを起こせばよかった。この本を読んで以来、タートルネックの首を鋏で切り開く自分を何度も夢想しています。


 
 この小説は著者の代表作で、自伝的作品とされています。着心地へのこだわりも、おそらく著者自身の体験でしょう。着心地の悪い服を着せられて、他に選択の余地がない絶望は、経験した者でないと分からないと思うからです。

 けれど著者は、着心地以上に、言葉にこだわる人だった。自分の肌に馴染む言葉をとことん捜して突き詰める人。きものの着心地を確かめるがごとく、入念に選び抜かれた言葉。こざっぱりと、身じまいのよい表現。不足もなければ、余りもしない文の丈の適切さ。読むことに酔いました。

 話の続きが気になるというのではないのです。そこそこの長編、なのに章立てのないこの小説は、止め処もない波の間に間にたゆたうようで、今読んでいること自体が心地よい。

 その時点、その時点の人間関係のもつれ、人間描写に心が躍る。艶やかなセリフが話者の人となりを示し、言葉とはこんなに見事なものかと、もう、もう、もう・・・。



 さっきから、感想らしきものを書いては、ためつすがめつ、消してはまた書き・・・、一向に捗りません。

 わたしが拙い言葉でどんなに頑張ったところで、この本の魅力は語れない。人にこの本を薦めるとするならば、「ただ読んでください」というしかない。

 しょうがないから備忘録も兼ね、気に入った箇所を引用して終わりにします。



 裕福な家に嫁ぐことになり、はしゃいで結婚式にかいどり(打ち掛けのことらしい)を着たいと言い出したるつ子の姉と、それに賛成する母親に、父親が言うセリフ:

追従で着る着物はいやしい。みえを張るつもりなら馬鹿らしい。(中略) 家柄やくらしぶりが自分のうちより上等だっていうが、かいどりを着せた娘を縁組させれば、その娘も娘のさとも家柄も上るわけか。いったいおまえ達は、何を考えているんだ。身分がそんなにうれしいか、くらしにそんなに気圧されるか。(中略) 華族もいいさ、医学博士の院長もいいさ。だがそっちはそっち、こっちはこっち、友達になろうと縁組しようと別になんてことはないが、さもしい気になられたんじゃ、やりきれない




 関東大震災で焼け出されたるつ子の祖母が、被災しなかった知人に新しい反物を送ってもらうよう頼み、「すこし図々しいわね、気がさすわ」というるつ子に言うセリフ。

だって考えてごらん。新しく丈夫なものこそ、今いちばん役に立つんだし、下さり甲斐も頂き甲斐もあるだろうじゃないか。(後略)



 それを聞いたるつ子は、友人の和子が震災後に着ていた粗末な着物を思い出し、こう思うのです。

おばあさんは丸焼けだから図々しくも新品の反物をねだったけれど、和子は焼けなかったからつつましく持ち合わせを着る。二人とも、地震の崩れ、火事の灰へ立ち向かうのには、木綿でなければという固い思い込みかたをしている。





 何を選んで着るか。そもそも着る、装う、とはなんなのか。

 舞台は大正時代ですが、この小説が書かれたのは昭和40年代。「花嫁は打掛」、「こういうときはこういう装い」・・・、細かい事情は一切抜きで、十把一絡に物事が単純化され始めた高度成長期のことです。






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50歳にして着物を着始めた、最初の一年間の日記です。 

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